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OBJECT 39 OF 50
Yarn Windings
ポールは、絶え間ない革新や試行錯誤のプロセスのおかげで、どのようにしてストライプが自身のデザインシグネチャーに発展したかを説明します。
OBJECT 39 OF 50
Yarn Windings
ポールは、絶え間ない革新や試行錯誤のプロセスのおかげで、どのようにしてストライプが自身のデザインシグネチャーに発展したかを説明します。
僕らの会社にロゴがあるとすれば、おそらくストライプだ。そうなったきっかけは偶然だった。最初のコレクションのときから、僕らが生き残る唯一の方法は、すでにどこかに在庫があり、必要とするだけのわずかな量を注文できる生地を使うことだった。つまりそれは、僕が使える生地は、白、水色、紺と白のストライプという、安全で、在庫の持てる色の生地だけだということだった。
僕らの会社にロゴがあるとすれば、おそらくストライプだ。そうなったきっかけは偶然だった。最初のコレクションのときから、僕らが生き残る唯一の方法は、すでにどこかに在庫があり、必要とするだけのわずかな量を注文できる生地を使うことだった。つまりそれは、僕が使える生地は、白、水色、紺と白のストライプという、安全で、在庫の持てる色の生地だけだということだった。
そのときは、ひどくシンプルなものであっても、人が買いたくなるものを作ることが僕の使命だった。形でもいいし、何か人を驚かせるものでもいい。白シャツの袖をストライプにするのもいい。今となってはごく普通のことだが、当時は袖口にコントラストをあしらったり、袖口の裏側に柄が隠れたデザインはめずらしかった。模様の部分には、自分で見つけたヴィンテージの生地を使ったりもした。
そのときは、ひどくシンプルなものであっても、人が買いたくなるものを作ることが僕の使命だった。形でもいいし、何か人を驚かせるものでもいい。白シャツの袖をストライプにするのもいい。今となってはごく普通のことだが、当時は袖口にコントラストをあしらったり、袖口の裏側に柄が隠れたデザインはめずらしかった。模様の部分には、自分で見つけたヴィンテージの生地を使ったりもした。
そうした在庫の生地で思いつくアイデアをすべて試したあと、ついに売上数が少し伸びるところまでこぎつけた。そして、ランカシャーの工場が、僕らがデザインしたストライプを少し多めに作ってくれることになった。
「僕らの会社にロゴがあるとすれば、おそらくストライプだ」
「僕らの会社にロゴがあるとすれば、おそらくストライプだ」
そうした在庫の生地で思いつくアイデアをすべて試したあと、ついに売上数が少し伸びるところまでこぎつけた。そして、ランカシャーの工場が、僕らがデザインしたストライプを少し多めに作ってくれることになった。
ストライプを作るにあたっては、厚紙に糸を巻きつけたものを使った。自分が選んだ様々な色の糸を用いて、自分がデザインした通りに一続きのストライプを作るのだ。ただし制約があった。工場にある色の糸を使わなければならないこと、そしてたくさんの色を使いすぎてはならないことだ―例えば、オレンジ1 色、赤1 色、白1 色だけのように。だが、自分がデザインしたストライプのシャツ生地を作れるのは、それが初めてだった。
ストライプを作るにあたっては、厚紙に糸を巻きつけたものを使った。自分が選んだ様々な色の糸を用いて、自分がデザインした通りに一続きのストライプを作るのだ。ただし制約があった。工場にある色の糸を使わなければならないこと、そしてたくさんの色を使いすぎてはならないことだ―例えば、オレンジ1 色、赤1 色、白1 色だけのように。だが、自分がデザインしたストライプのシャツ生地を作れるのは、それが初めてだった。
90年代初頭までには数量が増え、さらに多くのエクスクルーシブな生地をデザインすることになった。スタッフの1 人と、それまでのメンズには決してなかったカラフルなストライプを懸命に考え出した。普通とはまったく違う大胆な色使いのストライプは、大変な人気を呼んだ。女性も男性のシャツを着るようになり、その明るい色使いは好評を得た。
90年代初頭までには数量が増え、さらに多くのエクスクルーシブな生地をデザインすることになった。スタッフの1 人と、それまでのメンズには決してなかったカラフルなストライプを懸命に考え出した。普通とはまったく違う大胆な色使いのストライプは、大変な人気を呼んだ。女性も男性のシャツを着るようになり、その明るい色使いは好評を得た。
そしてあるとき、異なる14色を使ったストライプを作った。イタリアでなんとか織ってもらい、サマーコレクションで発表すると、大変な売れ行きとなった。次の春夏コレクションには採用せずにいたところ、多くの顧客に「あのストライプは?」と聞かれた。
そしてあるとき、異なる14色を使ったストライプを作った。イタリアでなんとか織ってもらい、サマーコレクションで発表すると、大変な売れ行きとなった。次の春夏コレクションには採用せずにいたところ、多くの顧客に「あのストライプは?」と聞かれた。
そして、再び使うようになり、それからはずっと使い続けている。ただ、数年前、僕にはもうふさわしくないような気がして、使うのをやめたことが ある。その決断のために、約500万ポンドの売上を失った。そのことで、たくさんのお叱りも受けた。そして、また使い始めることにした。
そして、再び使うようになり、それからはずっと使い続けている。ただ、数年前、僕にはもうふさわしくないような気がして、使うのをやめたことがある。その決断のために、約500万ポンドの売上を失った。そのことで、たくさんのお叱りも受けた。そして、また使い始めることにした。
さらに、アーティストストライプと呼ぶストライプも考え出した。僕がロンドンのテート・モダンで目にした絵画の色を取り入れたことから、その名をつけた。それは非常に人気となった。その後、配色や線の幅を変えたうえでオリジナルのマルチストライプを復活させ、今はシャツの装飾やシューズのかかとなどに、控えめに使っている。
さらに、アーティストストライプと呼ぶストライプも考え出した。僕がロンドンのテート・モダンで目にした絵画の色を取り入れたことから、その名をつけた。それは非常に人気となった。その後、配色や線の幅を変えたうえでオリジナルのマルチストライプを復活させ、今はシャツの装飾やシューズのかかとなどに、控えめに使っている。
多くの会社が必死になって、自分たちのアイデンティティとなるものを生み出そうとしている。問題は、それが肩に重くのしかかる可能性もあるということだ。だが、立ち止まり、再び始めるだけの勇気を持つことで、僕らはそれを再創造してきた。
多くの会社が必死になって、自分たちのアイデンティティとなるものを生み出そうとしている。問題は、それが肩に重くのしかかる可能性もあるということだ。だが、立ち止まり、再び始めるだけの勇気を持つことで、僕らはそれを再創造してきた。